テコンドーの歴史

5.16軍事クーデター~1965年History

5.16軍事クーデターにより朴正煕政権が誕生

朴正煕
【朴正煕 】

1961年

5.16軍事クーデターにより朴正煕政権が誕生した。

新政権樹立後、以前の文教部登録(ファン・ギによる大韓手搏道会の登録)などが無効とされるやテコンドー、唐手、空手、そして一般武道の統合論議が再び活発化。

同年9月大韓テコンドー協会を大韓テスド協会に改称。

国家再建最高会議が布告令第6号を発令、社会団体の再登録を命ずることによって文教部は 1961年7月12日付で公文を送り、大韓手搏道会(テハンスバクトフェ)、大韓テコンドー会、空手道松武館、講徳院武道会、韓武館中央空手道場の代表らを召集し統合会議を幾度となく促したが名称の問題により結論が出ず、オブザーバーの権利で李鍾佑が期限付き統合を決定し文教部へ報告することとなった。

これに伴い各館の代表たちは論議を重ねることになり、1961年9月14日、ようやく統合会議を開くことになった。

当時の代表参席者は智道館代表:尹快炳(ユン・ケビョン)、青濤館代表:嚴雲奎(オム・ウンギュ)、章武館代表:李南石(イ・ナムソク)、武徳館代表:黄琦(ファン・ギ)、松武館代表:盧秉直(ノ・ピョンジク)、吾道館代表:南太熙(ナム・テフィ)、講徳院代表:パク・チョルフィ、韓武館代表:イ・キョユン、参観者は韓国体育館:李鍾佑、吾道館:コ・ジェチョン、松武館:イ・ヨンソプらであった。

この日、やはり名称問題で難関にぶつかったが、結局、李南石、嚴雲奎、李鍾佑らが崔泓熙陸軍少将宛に妥協案(テコンドーの手(足へんに台)と空手の手の一文字ずつを取り入れた名称:考案者/尹快炳)を提出することによって大韓テスド協会に決着することとなった。

そして、ついに9月14日統合創立委員会を設け、その業務推進を7人委員会に委託した。

9月19日には理事会を組織し、役員らを構成、大韓テスド協会が公式に船出することとなった。会長は空席(崔泓熙陸軍少将は名称を承認していない理由から受け入れず), 副会長には嚴雲奎, 李鍾佑が選任された。

同年、崔泓熙陸軍少将は第6軍団長となり国軍および米第7師団にテコンドー名称を用いて指導。この年にほぼ全国軍と全警察のテコンドー義務化が成功した。

※5.16軍事クーデター

1961年5月16日に起きた軍事クーデターは、後の韓国大統領で当時少将(第2野戦軍副司令官)だった朴正煕や張都暎などが軍事革命委員会の名の下、起こした軍事クーデター。1961年5月16日に発生したため「5・16軍事クーデター」と一般的に言う。

反共親米、腐敗と旧悪の一掃、経済再建などが決起の理由とされる。しかし、この時期を選んだのには韓国学生運動と朝鮮学生委員会との板門店における南北学生会談の開催という、別の理由がある。「行こう北へ!来たれ南へ!板門店で会おう!」をスローガンにソウルを出発した学生デモは10万人に達し、文民の張勉内閣(第二共和国)には、学生会談を抑える力がなかった。当時の韓国の1人あたりGNPは約80ドル。北朝鮮の経済力のほうが圧倒的に強く、赤化統一の可能性があった。クーデターは、アメリカ中央情報局(CIA)がけしかけたとの説もある。 

5.16クーデター後

朴正煕は政権を奪取し、軍事革命委員会を国家再建最高会議に改称、治安向上や経済改善などを名目に韓国民の思想・言論を弾圧した。6月10日には秘密諜報機関・韓国中央情報部(KCIA)が発足された。このような朴の政治は今後の韓国政治史の長い軍事政権の土台を築き上げる事となった。

故崔泓熙ITF総裁の抱く朴正煕像

「テコンドー・タイムズ113号(2000年1月発行)崔泓熙総裁へのインタビューより抜粋」

キム博士(米国在住史学博士):

1961年の5月16日、あなたが参加した軍事クーデターによって政権は掌握され、その後朴正煕将軍が大統領に任命されました。後にあなたが朴大統領から距離を置くようになった要因はどのようなものだったのですか?
崔総裁:
私は韓国軍を創設した110人のうちの1人でした。朴将軍は私の後輩であり、私に話しかけるときはいつも敬語を使っていました。私がクーデターに参加した理由は、私の部下の一人が陸軍参謀長の張都暎(チャン・ドヨン)将軍がこの動きを指揮していると伝えたからです。
後に私は、多くの人間をクーデターに引き入れるために、朴将軍が張将軍の名前を利用したことを悟りました。クーデターが成功した後、朴将軍は張将軍を、反改革派として告発し、アメリカへ追放しました。
当初朴将軍は、クーデターが完了したら自分は軍へ戻ると韓国国民に約束していました。しかし実は、朴将軍も彼の部下も、大統領の地位を乗っ取ることに専心していました。
私は朴将軍に、国民との約束を守って一刻も早く軍へ戻るようにと忠告しました。そうすれば、国民は将来に渡って君を尊敬するだろう、と。しかし彼は私の言葉を受け入れず、私を退役させてマレーシアの大使に任命しました。
キム博士:
多くの人が、あなたが韓国政府に反対する政治的活動に巻き込まれていると話しています。これらの非難に対して何かコメントしていただけますか?
崔総裁:
人々は、「反政府」と「反独裁者」の違いを理解していません。私は独裁者だった朴正煕と彼に追随する人間たちと戦ったのです。私は朴正煕を誰よりもよく知っていました。私は朴が大統領に相応しくない人間だと信じていましたし、私は彼が合法的な大統領だったとは思いません。
彼は日本の陸軍士官学校を卒業しており、日本の植民地支配の時代には朝鮮革命軍と戦ったのです。日本から韓国が解放された後、彼は韓国陸軍に入り、韓国政府に対する反乱を企てました。彼の軍法会議の間中ずっと、私は、彼に死刑判決を言い渡した判事の1人を務めていました。私が彼のクーデターに参加したのは、私が、軍の行動が陸軍参謀総長だった張都暎将軍の指揮で行われていると信じていたからです。
しかし朴は張将軍の名前を利用しただけで、クーデターに参加した多くの将軍をだましたのです。張将軍と私はかつて朴の軍法会議に判事を務めていました。私を含む多くの将軍たちから、大統領に立候補することを反対されると、朴は我々将軍を軍から退役させ、張将軍をアメリカへ亡命に追いやりました。
大統領になると、朴は何度も憲法を改正し、彼は事実上「終身大統領」となりました。そしてKCIAを使い、彼は韓国国民の自由を厳しく制限しました。結果的に、このような政治的環境が私をカナダに亡命させました。
私はカナダで、韓国で何が起きているのか世界中に知らせようとしました。そしてメディアを通じて、私は韓国軍に独裁者朴を打倒し、韓国に民主主義を回復するようにと強く説きました。朴の独裁政権は、1961年から1979年まで18年間も続きました。そして何が起きたでしょう?朴は彼が信頼していたKCIAの部長、金戴圭将軍によって殺されました。朴の死は、全体主義的政府の終焉ではありませんでした。全斗煥将軍、廬泰愚将軍が権力を握り、1990年の最初まで軍事政権は続きました。このような状況下で、私は独裁政権と戦い続けました。韓国国民と戦ったのではありません。

1962年

大韓テスド協会は6月20日に大韓体育会へ加入し、10月5日に事務所もそこへ移転した。同年8月に武徳館(ムドックァン)館長ファン・ギ(黄琦)が智道館(チドグァン)館長 ユン・ケビョン(尹快炳)を伴い脱会。

10月24日、テスドが第43回全国体戦(太邱/テグ)エキジビション競技として採用される。11/11 全国初の公認昇段審査が国民会議堂で行なわれる。

12/15会長は崔泓熙陸軍少将の推薦者:蔡命新、副会長に嚴雲奎(青涛館館長)、専務理事にキム・スンベ。

崔泓熙陸軍少将は軍職を解かれマレーシア初代韓国大使に任命される。

韓国政府は吾道館(オドグァン)の南太熙を団長とする初のベトナム テコンドー教官団を派遣。

※南太熙(ナム・テフィ):解放後、青濤館の李元國に師事、1947年、陸軍通信学校で唐手道を教えていたことが契機となり軍と繋がりを持つ。1953年済州島歩兵第29部隊にいた崔泓熙陸軍少将と出会いその後、崔将軍の片腕となる)

※初の公認昇段審査(1962、11、11大韓テスド協会)の内容:ヒョン(型)、テリョン(対練)、論文(3段以上)の3種目だった。対練は防具を着用して1Rが3分で行なわれる試合形式で行なわれた。

また、型は初段受審者で平安5段、鉄騎初段、内歩進初段、慈院、花朗、等が行なわれた。そして、指定型は次の通りであった。

二段指定型 → 抜塞大、鉄騎二段、内歩進ニ段、騎馬ニ段、忠武、

三段指定型 → 十手、抜塞、燕飛、短拳、鷺牌、階伯、乙支

四段指定型 → 鉄騎三段、内歩進三段、騎馬三段、慈恩、鎮手、岩鶴、鎮東、長拳、三一

五段指定型 → 公相公、観空、五十四歩、一三、半月、八騎拳

(花朗、忠武、階伯、乙支、三一以外はすべて空手の型そのものであった)

1963年

2月23日、大韓テスド協会が大韓体育協会の定期総会で加盟承認を受ける。

6月24日に大韓テスド協会は役員を交代、会長に蔡命新(崔泓熙氏の推薦)、副会長にヒョン・ジョンミョン、専務理事にパク・チョルフィが選任された。第44回全国体育典でテスド(テコンドー)が正式競技種目に採択。

崔泓熙大使がマレーシア首相の要請にてテコンドーデモンストレーションを成功させる。これを機にマレーシアテコンドー協会設立が可能となった。また、国連韓国大使 イ・スヨンに要請、その後、国連庁舎にてテコンドーデモンストレーション成功。


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